12年前、吉本が沖縄で映画祭をやるって聞いたときは、まず、なんのことかよくわからなかった。吉本に映画のイメージも、沖縄のイメージもなかったし。沖縄にお祭りが増えるのはありがたいことだけど、どんな映画祭になるのか不安はあったかな。だけど、「沖縄国際映画祭」として幕が開けて、北谷のサンセットビーチにレッドカーペットがドカーンと広がって、沖縄県民が何万人も集まって、国内外からもいろんな、俳優陣が集まったときに、「ヤバい、沖縄ですごいことが始まりだしたぞ!」って、ドキドキが止まらなかった。
派手に始まりましたよね。
そのうえでじゃあ、沖縄出身の芸人として何ができるのかって考えたら、舞台に立ってお笑いをやるのはもちろん、沖縄を広めるために、沖縄を舞台に映画を撮っていくしかないなって思ったんだよね。これまでに13本、沖縄の映画を撮り続けることができたのも、その思いがあったから。
でも、映画祭も最初は大変だったと思うんですよね。
うん、相方の川田(広樹)とあちこち宣伝に行っても、誰も食いついてくれなかった。それが、1年、2年、3年とやっていくうちに、「また映画祭の季節になってきたね」なんて声をかけられるようになって。「やっと、沖縄の風物詩になったんだ」ってホッとしたし、うれしかったなぁ。真悟は、どんなきっかけで映画祭に関わるようになったの?
僕はバンドとして出演させていただいたのが最初になるんですけど、何度かステージに立たせてもらううちに、「沖縄国際映画祭」のメインタイトルが、「島ぜんぶでおーきな祭」に変わることになって。そのときに、沖縄のミュージシャンみんなでひとつのバンドを組んでみないか、っていうお話をいただいたんです。とっても光栄だったんですけど、80歳以上の人が現役で歌っている沖縄で、「こんな若造の声に誰が耳を傾けてくれるんだろう?」っていう不安もありましたね。
当時、まだ30歳くらいだったわけでしょ?
そうですね。しかも、その最初の回が、大先輩の知名定男さん(※1)の50周年記念ライブとかぶってしまったんですよ。名だたる先輩方もそこに出演されると。そこで、ET-KINGのイトキンや、島袋寛子ちゃんといった、同世代のみんなでやらせてもらったんです。
それが、「島ぜんぶでおーきなバンド」だ。
はい。ただ初回は、そういう経緯もあって、「その名前を名乗るのはおこがましいです」とお伝えしたんですけどね。それもいまでは、高校生が叩くドラムで、70歳を超えた先輩が歌ったりするようになった。ほかのどのフェスよりも、出演者の年齢が幅広いんじゃないかな。沖縄の人間が世代を超えて集まって、沖縄の魅力を伝えられるところが、この映画祭の好きなところなんですよね。
この映画祭で一番の思い出といえば、青春がつまりにつまった国際通りで、初めてレッドカーペットを歩いたときは本当にもう……。
感激ですよねぇ。
「ゴリ〜!」って何万人ものお客さんに呼ばれて手を振りながら、同時に自分の世界にも浸ってたね。洋服を買いに行ったり、初めて彼女と映画を観に行ったり、怖い先輩にカツアゲされたりしたのも、みんな国際通りだったから。自分っていう人間を形成した国際通り、そのど真ん中を歩いて、県民から賞賛されるなんて、こんな日が来るとは思わなかったなぁ。
子どものころからの憧れとも違うじゃないですか。これまでにないものを作るところから関わって、青春時代を過ごした場所に見たことのない景色が広がり、そこで賞賛を浴びるっていう……夢ですよねぇ。
不思議だったもん、オープンカーに乗って登場してさ。
もうマンガですよ。
途中で前がつまって、お客さんの前で20分くらい放置されたんだけど、あれも思い出だよね。最初は声をかけてきたお客さんも、だんだん無言になってね……。
20分動かなかったら、人は景色になりますから(笑)。
真悟は印象に残っているシーンとかある?
一番はあれかな、3.11の年(2011年の第3回)。震災直後、まだ3月だったから、いろんなイベントが自粛されているなか、「うちはやります。日本、ひいては世界中が前向きな力を必要としているから」と、映画祭をやりきった。今年だって、形を変えても映画祭をやめないのは、俺たちのコロナウイルスに対する「負けないよ」って気持ちの証明だと思うけど、何年も前からその心意気でやってきたんですよね。
そうだね。
笑いも、音楽も、心のエネルギーじゃないですか。お腹も満たせないし、ケガも治せないし、家も建てられない。でも、この心のエネルギーこそが大切で、それをわかっている人たちと、俺たちはいっしょにお祭りをやらせてもらってるんだなって。だから、どんなことがあってもこの映画祭が倒れないように、自分にできる全力を注がせてもらおうと思ったのは、あの3.11のときでしたね。
8回目かな、どしゃぶりの大雨で、エンディングライブが中止になった年を思い出すな。みんなずぶ濡れの中、真悟が歌って、お客さんも帰らなくて。でも、主催者側としては、お客さんが心配だし、機材トラブルの恐れもあって、途中で中止にせざるを得なかった。そこで、お客さんからブーイングが起きたんだよね。そのとき、お客さんを送り出しながら、真悟がアカペラで歌い出したでしょ。あれは、シビれたなぁ〜。アーティストだからできることっていうか。「ごめんね、じゃあ俺たち、最後にショートコントやるから」って言っても、締まらないもん。あそこで歌えるのがうらやましいよね。
僕が芸人さんでも、あの場面ではコントをやらずに歌ったと思います(笑)。
「あ、かっこいい〜!」って思ったし、覚悟を感じたんだよね。すごく覚えてる。
メロディや歌詞も、これからまた変わっていきそうだよね?
先のことはわからないですけど、原点に立ち戻ることの大切さは感じていますね。「いまでは教科書に載るような歴史のある民謡も、歌詞を紐解いてみればなんてことないよ」と、聞かされたことがあるんです。「あいつの魚はちっちゃい、俺の魚は大きい、だから俺の魚を買ってくれ」っていう歌が、100年、200年前からあって、いまも大事にされる曲になったと。
シンプルな歌詞だねぇ。
一方で、いまの若い人たちの国語力、インテリジェンスって、どんどん上がっていると思うんですよ。哲学的な歌詞も多いし、たくさんの言葉で韻を踏むラッパーさんなんかもいる。だからといって、僕らみたいな中堅どころが、もっと勉強して、もっと賢い歌詞を書いて、世の中のテンポに柔軟に対応しようとすると、自分の芯まで曲げてしまいそうになる。そこで「いや、待てよ」と踏みとどまらせてくれるのが、島唄なんです。
新しくて、複雑であればいいわけじゃないと。
ほんの100年近く前まで、ルーツミュージックである島唄だけが純度100%で存在した島って、世界で見てもほとんどないと思うんですよ。そして、そんな純度100%の島唄しか知らない歌い手たちの直接の弟子だった人たちが、まだ存在している。だから、前に進むだけじゃなく、純度100%の音楽を忘れずにいる町から、栄養をできるだけ吸っておくことも大事なんじゃないかって思うんですよね。
それこそ、音楽の原点なのかもしれないね。
そう、なんでもない日常を慈しむことこそ、音楽の原点かもしれないですよね。「どんなものでも愛おしい」っていう人の息遣いみたいなものが、音楽には宿っていることを忘れない。それが、自分が音楽をするうえでの大前提、座右の銘みたいなものかなって思っています。
お笑いも同じだよね。「ベタ」って言葉があるように、結局、みんなわかりやすいものが好きなんじゃないかな。「吉本新喜劇」って素晴らしくてさ、(池乃)めだかさんのおなじみのギャグとかに、子どもからお年寄りまでが揺れるように笑うの。風が吹いたさとうきび畑みたいに。それを見て、「幸せだな、こういう時間」「これを沖縄に持っていきたいな」と思ったのが、「おきなわ新喜劇」(※2)を作った原点だもん。
お客さんと共有する、お客さんに受け止めてもらうことで、やっと達成できる喜びってありますよね。
うん。映画祭のエンディングで「笑顔のまんま」をみんなで歌うときも、笑顔で手を振ってくれる満員の客席を見てるのが、一番の幸せだもんね。だから、エンタメってやめられないのかもしれない。
沖縄国際映画祭のいいところは、主役はあくまで市町村で、離島の方も含めて自分たちの町、自分たちの島を思いっきり表現することに軸を置いていることですよね。いま沖縄にいる少年少女たちは、映画祭をきっかけにたくさんの表現、表現者と出会えるから、「自分の夢は現実とつながっているんだ」って実感できるじゃないですか。さらに、「自分たちで自分たちの町の映画を作ろうよ」って、表現してみる機会もある。
41市町村それぞれが、「じゃあ、来年はこういうことしたい」って、能動的になっている。沖縄県全部で映画祭を作ろうっていう動きになってるのも、いいなと思うよね。
そうなんですよ。「芸能・表現の島」なんだって、改めてみんなが思えるようになったら、沖縄がより文化的になってくるんじゃないかって気がします。それこそ、国内外で賞を獲って、沖縄でレッドカーペットを歩くような監督、俳優、歌い手が、沖縄から生まれるかもしれない。そういう希望のある映画祭であり続けてほしいと思いますね。そのためにも、いまの厳しい状況にも負けてなんかいられない。
コロナウイルスによって、それこそ、映画の中でしか見たことのなかった景色が広がっているよね。でも、そういう状況に負けない生き方、楽しみ方を生み出してきたのが、人間じゃないのかなって思う。この前、家から出られない状況にいる中国の人が、ベランダで向かいのマンションの人にむけてヘンな踊りをして、お互いに笑わせ合うのをテレビで観て、泣きそうになったんだよね。やっぱり人間って、自分たちで幸せになろうと行動を起こすんだなって。そういうふうに映画祭も変わっていくといいのかなって、ちょっと感じたなぁ。
最近、国際通りのネーネーズ(※3)のお店に行ったんですけど、いつもはいっぱいのライブハウスが、コロナの影響でお客さんがひとりだったんですね。でもそのお客さんひとりに対し、ネーネーズが4人でライブをしてたんですよ。ひとりでも音楽居酒屋に行こうとしたお客さん、相手がひとりでもいっさい手を抜かずに最高の音楽をやるネーネーズ。この2組がいる限り、音楽は死なないなって思ったんですよね。だから、来年の映画祭の音楽イベントでは、こういう現実に負けなかった歌い手たちがステージに立つ回になるといいなって思います。
おきなわ新喜劇も、お客さんがすごく少ないときはあるけど、満員だろうが、ひとりだろうが、観ている人は、舞台にいるメンバーと1対1なわけで。だから、「がんばって笑わせよう」ってメンバーにも言うんだけど、人が少ないと、しっかり手を抜くのが普久原明(※4)さんかな。
あの普久原さん(笑)。
あの人は満員で、テレビカメラが入ると、めっちゃがんばる。噛まないんだよ。
普久原さんのためにも、早くこの状況が収束することを願いますね。
真悟に対しては、心にくる歌詞を書いて、いいメロディを作る人っていうイメージから入ったけど、実際に話をするようになって思ったのは……根本的に笑いが好きでしょ?
芸人さんが好きなんですよ。憧れですね。なんてクリエイティブなんだろうって思います。
真悟のトークは、笑いを交えながらも、ひとつひとつの物事に対して、神経質なほど深く考えているのが見える。だから、ああいう歌詞が出てくるんだろうなぁ。
僕はテレビでゴリさんを観て、怒られそうなことをあえてやるような、体当たり型の「ザ・芸人」というイメージを持ってましたね。でも、直接お会いするようになって、なんて理路整然としている人なんだろうって。
うれしいね。
沖縄の後輩芸人さんにも、ゴリさんについて聞いたんですけど、「ガレッジセールは、養成所にも行っていない現場のたたき上げで、そこから大きなステージまで駆け上がっていった、俺たちの憧れの人なんだ」と言っていました。もちろん、一生懸命勉強することも正しいし、ゴリさんもいろいろ学んでいらっしゃると思うんですけど、ゴリさんには「血統書つきの野良犬」みたいなイメージがありますね。
悪い気しないね(笑)。そんなふうに例えられたのは初めてかも。
凛としている、オオカミに近い犬というか。