みんなの「おーきなうた」

「島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭」を彩ってきた方々から、
映画祭、そして沖縄への思いを込めたメッセージをいただきました。
また沖縄から世界へ元気な声を響かせられるよう、それぞれの「おーきなうた」をお届けします。

宮沢和史

シンガーソングライター。1989年、THE BOOMのボーカリストとしてデビュー。
昨年の第11回沖縄国際映画祭では、「わったー!41フェス おきなわ県のみらいへつなぐ、じもとのちから」にライブゲストとして出演。

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宮沢和史

シンガーソングライター、俳優。1989年、THE BOOMのボーカリストとしてデビュー。
昨年の第11回沖縄国際映画祭では、「わったー!41フェス おきなわ県のみらいへつなぐ、じもとのちから」にライブゲストとして出演。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
THE BOOMの『島唄』のプロモーションビデオは当時、映画『パイナップルツアーズ』の監督の一人だった真喜屋力さんに製作していただきましたが、『島唄』発表から20周年の2013年に真喜屋さんに再度依頼し、島唄に関するショートムービーを作り、沖縄国際映画祭で上映させていただきました。音楽人生の節目に映画祭に参加させていただけて大変光栄でした。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
自分は沖縄出身ではありませんが、沖縄に行くたびに懐かしさを感じます。システムに縛られた都市生活とは違い、本来の”人間らしい生活の営み”がそこに残されているからかもしれません。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
今はそれぞれの人間がそれぞれのコンテンツを自由に楽しんでいる時代ですが、国民がみんなで共有し、みんなで歌える歌が久しく登場していません。
それを寂しく感じています。

夏川りみ

歌手。2001年、「涙そうそう」が大ヒットを記録。アジアや南米などでもツアーを開催するなど、世界中に歌声を届け続けている。第10回沖縄国際映画祭での、島ぜんぶでおーきなバンドステージへの出演も記憶に新しい。

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夏川りみ

歌手。2001年、「涙そうそう」が大ヒットを記録。アジアや南米などでもツアーを開催するなど、世界中に歌声を届け続けている。第10回沖縄国際映画祭での、島ぜんぶでおーきなバンドステージへの出演も記憶に新しい。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
ガレッジセールのゴリさん監督の「南の島のフリムン」に占い師の役で出ました。
主題歌は作詞 ゴリ 作曲 Kiroro 玉城千春 で「ウンジュの原点(ふるさと)」を歌わせてもらいました。
占い師の台詞はそんなに無いのに、全然、覚えられなかった事を覚えています。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
パワーをもらえる場所。 自然体になれる場所。 宝物がたくさんある場所。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
色んな事がある世の中だと思うけど、私は音楽の力を信じているので、これからも唄を通して皆さんに元気や勇気、愛、そして沖縄の素晴らしさを世界に届けたいです。 

島袋寛子

歌手。1996年、「SPEED」のメンバーとして12歳でデビュー。2012年からFMOKINAWAで『島袋寛子のいいね!OKINAWA』のパーソナリティを務めている。沖縄国際映画祭には、これまでに4回出演。

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島袋寛子

歌手。1996年、「SPEED」のメンバーとして12歳でデビュー。2012年からFMOKINAWAで『島袋寛子のいいね!OKINAWA』のパーソナリティを務めている。沖縄国際映画祭には、これまでに4回出演。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
とても個人的な感情の記憶になってしまいますが、Boby & Soul を歌わせていただけたことがとても強く残っています。
かりゆし58の、しんごさんにお願いをして、皆様が一緒に演奏してくださり、歌い、踊ってくださったあの瞬間はかけがえのない思い出となりました。
どこを向いても、みなさんが笑顔でいてくださり、音楽ってすごいな、1人じゃない、と、みんなで1つになって放つエネルギーはどこまでもいけるような感覚でした。とても大きな愛を感じた瞬間です。感謝でいっぱいです。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
実家です。笑。
そのままのようになってしまいますが、すべてをありのままにしてくれて、時に厳しく、優しく、生きる力をくれる場所です。沖縄に帰ると、もっと頑張ろう!なんでもできるよ!そんな気持ちになります。どんな時もかわらぬ愛を持つ大切な故郷です。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
人と人が実際に会って、一緒にわかちあう機会というのはかけがえのないことのように思います。
生きていく力になります。
沖縄の空と海、エネルギーを感じながらみんなで一緒に楽しむ沖縄でのライブは最高です。これからもたくさんの方々が訪れる沖縄であってほしいですし、沖縄からもたくさんの音楽や表現が世界中に響いてほしい。ありのままに、自由なんだよ、みんな等しく。そんな、沖縄が私にくれたエネルギーを届けていけたら最高です。音楽と、笑い声と、歓声が聞こえる世界であってほしいです。
できることを、できることから、協力しあって。
そんな思いでいます。

前川真悟(かりゆし58)

ミュージシャン。「かりゆし58」のボーカル・ベースとして、沖縄で生まれ育った彼らならではの「島唄」を全国に向け唄い続けている。沖縄国際映画祭では、「島ぜんぶでおーきなバンド」を率いて、エンディングを盛り上げている。

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前川真悟(かりゆし58)

ミュージシャン。「かりゆし58」のボーカル・ベースとして、沖縄で生まれ育った彼らならではの「島唄」を全国に向け唄い続けている。沖縄国際映画祭では、「島ぜんぶでおーきなバンド」を率いて、エンディングを盛り上げている。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
2011年3月の国際映画祭は特に印象に残っています。
東日本大地震から2週間後というタイミングで開催した事が正しいか間違いか分かりませんが、会場全体の隅々にまで壮絶な覚悟が宿っていました。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
表現者として、生涯をかけて描きたい幾多のもの(風景や物語や言葉や思想)が既に全てある場所その中のまだ形を成していない幾つかを作品に変える役割を1つでも多く担えたら幸せです。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
あくまでも個人的な考えですが、表現は現実に窮した所から発生したと思っています。
厳しい状況にこそ生まれる切実な希望や、諦めを脱するための懸命な営みが、今まさに生まれようとしている新たな表現の種となる事を信じています。
この状況に光を見出す者こそが、これからのエンタメの底力を育む存在になる気がします。

奥田瑛二

俳優・映画監督。1989年に『千利休・本覚坊遺文』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、長きにわたり活躍を続けている。照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)監督の映画『洗骨』で主演を務めた際には、第11回沖縄国際映画祭にも参加した。

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奥田瑛二

俳優・映画監督。1989年に『千利休・本覚坊遺文』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、長きにわたり活躍を続けている。照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)監督の映画『洗骨』で主演を務めた際には、第11回沖縄国際映画祭にも参加した。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
映画「洗骨」は、舞台が沖縄で、私の役も生え抜きの沖縄人。それを沖縄国際映画祭で上映するのが、いかにプレッシャーのかかるものであったか、いま思い出しても大きく深呼吸したくなります。幸い作品は高評価をいただき、お客さんも満員の連続、長い映画俳優人生の中で最高の作品のひとつになりました。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
撮影が離島ということもあり海、風、土、神羅万象のひとかけらに触れることができ、今でも命の故郷になっています。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
映画人でありクリエイターとして、新型コロナウイルス感染症の問題は人として静観すると同時に、原点回帰の時ではないかと思わざるを得ません。これを乗り越え、もはや「映画の街」といっても過言ではない沖縄で次なる映画祭が開催されたときは、必ずやよりエネルギーが爆発した映画祭となるでしょう。

松雪泰子

女優。ドラマや映画、舞台などで幅広く活躍を続けている。第11回沖縄国際映画祭では、9年ぶりにレッドカーペットに登場。映画祭でプレミアム上映された主演映画『甘いお酒でうがい』の全国公開が近日予定されている。

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松雪泰子

女優。ドラマや映画、舞台などで幅広く活躍を続けている。第11回沖縄国際映画祭では、9年ぶりにレッドカーペットに登場。映画祭でプレミアム上映された主演映画『甘いお酒でうがい』の全国公開が近日予定されている。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
あたたかく、心地よい空気に包まれる、ハートウォームな映画祭だと思っています。沖縄の人皆さんがあたたかい。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
私にとっての沖縄は、生まれる前の子宮の中にいるような、包まれる様な場所。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
いまは芸術の火を絶やさないように、できることを知性とアイデアで構築し、オンラインを通じてシェアしていきたい。生きる希望になれるように!

桂 文枝

落語家。1966年に五代目桂文枝に入門、2012年に六代 桂文枝を襲名する。2006年には紫綬褒章を受章。
昨年の第11回沖縄国際映画祭では、オープニングセレモニーやレッドカーペットのほか、トークショーなどにも登場した。

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桂 文枝

落語家。1966年に五代目桂文枝に入門、2012年に六代 桂文枝を襲名する。2006年には紫綬褒章を受章。
昨年の第11回沖縄国際映画祭では、オープニングセレモニーやレッドカーペットのほか、トークショーなどにも登場した。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
沖縄映画祭全て良い思い出ですが、レッドカーペットを友近さん、ゆりやんさんらと一緒に歩いて大歓迎受けたこと。
大阪で1番沖縄の人が多い大正区で育ったので、今でも時々沖縄料理のお店に通っています。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
沖縄は不幸な時代がありましたが、子どものころからともに歩んだ、僕の第二の故郷のようなところ。
いまも沖縄県人の人がよく応援に来てくれるし、明るくて人が良くて、情が深くて良い仲間、良い友だち。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
沖縄は、日本の古い文化アメリカの新しい文化の融合しているところ。
なんでもやれるし、芸も景色も食べ物も、すべて恵まれているハワイのように独自の文化を、もっと世界に発信すべきだと思っています。

今田耕司

お笑い芸人。NSC大阪校4期生。数々のバラエティ番組で司会を務めるなど、テレビを中心に活躍を続けている。
沖縄国際映画祭でも総合司会を担当することが多く、毎年のように沖縄を訪れている。

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今田耕司

お笑い芸人。NSC大阪校4期生。数々のバラエティ番組で司会を務めるなど、テレビを中心に活躍を続けている。
沖縄国際映画祭でも総合司会を担当することが多く、毎年のように沖縄を訪れている。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
一回目の花火大会が記憶に残っている。
芸人の数や規模感も凄くて、まさに大きな映画の祭典っていう感じがした。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
プライベートでもよく旅行に行くし、とにかく”楽しい場所”。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
まずはコロナウィルスに勝つことがエンタメをするうえでの大きな課題。
そんな社会情勢の中だからこそ、僕は与えられた仕事を全うしたいと思う。

ゴリ(ガレッジセール)

お笑い芸人、映画監督。1995年、川田広樹と「ガレッジセール」を結成。沖縄国際映画祭では毎年MCなどを務め、初期から映画祭を支えてきた。また、映画監督としても活動し、映画祭に沖縄を舞台にした作品を出品し続けている。

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ゴリ(ガレッジセール)

お笑い芸人、映画監督。1995年、川田広樹と「ガレッジセール」を結成。沖縄国際映画祭では毎年MCなどを務め、初期から映画祭を支えてきた。また、映画監督としても活動し、映画祭に沖縄を舞台にした作品を出品し続けている。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
かりゆし58のボーカル・前川真悟さんが結成した「おーきなバンド」が毎年映画祭のエンディングを飾りますが、大雨の年があり、雨の中歌うアーティスト、帰らない観客、異常な盛り上がりを見せた会場。しかし主催者判断で途中で中止を決定。観客のブーイングの中、突然前川さんがアカペラで「終わり始まり」を歌い出し、観客を落ち着かせて帰ってもらった神回が、とても印象に残っています。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
沖縄出身者にとっては、いつまでも変わらない人間関係。優しく、困ると手を差し伸べてくれる仲間。
しかし県外、海外から新しい風が入れ替わり立ち代わり入ってくるので、常に新しく生まれ変わる土地で、刺激的でもある。新旧乱れた小さな島が魅力かもしれません。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
今回のコロナウイルスの影響で自粛が広がり、エンタメの無力さと歯痒さを痛感しました。しかし、人は辛い時エンタメで救われるのも知っています。自分がテレビや音楽に救われてきたように。戦争など、世の中が苦しい時にこそエンタメが発展してきたと記事で読んだことがあります。苦しい人々の心を救うため、今がまさにその時です。みんなが笑顔で外に出られる日を模索したいと思います。

川田(ガレッジセール)

お笑い芸人。1995年、ゴリと「ガレッジセール」を結成。沖縄国際映画祭では毎年MCなどを務め、初期から映画祭を支えてきた。また、沖縄の文化や歴史を笑いを交えながら届ける「おきなわ新喜劇」にも力を注いでいる。

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川田(ガレッジセール)

お笑い芸人。1995年、ゴリと「ガレッジセール」を結成。沖縄国際映画祭では毎年MCなどを務め、初期から映画祭を支えてきた。また、沖縄の文化や歴史を笑いを交えながら届ける「おきなわ新喜劇」にも力を注いでいる。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
手探りで始めた第一回目の映画祭。沖縄県民も、何をするの?という感じだった映画祭が、こんなに長く続くとは思っていなかった。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
一番落ち着く場所。充電できてパワーをもらえる大好きな故郷。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
他県とはまったく違う独特の文化を、沖縄新喜劇という笑いを交えて全国の人達に届けたいです。

與那城 奨(JO1)

アーティスト。沖縄県出身。グローバルボーイズグループ“JO1(ジェイオーワン)”のリーダー。
持ち前の包容力と面倒見の良さで個性的なメンバーをまとめるお母さん的存在。デビューシングル『PROTOSTAR』はオリコン週間シングルランキング初登場1位(2020/3/16付)を獲得。

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與那城 奨(JO1)

アーティスト。沖縄県出身。グローバルボーイズグループ“JO1(ジェイオーワン)”のリーダー・ボーカル。
持ち前の包容力と面倒見の良さで個性的なメンバーをまとめるお母さん的存在。デビューシングル『PROTOSTAR』はオリコン週間シングルランキング初登場1位(2020/3/16付)を獲得。

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沖縄国際映画祭での印象的な思い出、記憶に残っているできごとがあれば教えてください。
最初に沖縄国際映画祭にいったのは確か中学生の頃だったと思います。
沖縄にいろんな芸能人の方が来ると知って、友達と一緒にバスに乗って当時会場だった浦添まで足を運びました。ずっとテレビで見ていた芸能人が目の前を歩く姿はとても新鮮で、僕たちは目を輝かせながらステージを眺めていました。その時はまだ自分が同じステージに立てるなんて全く考えてもいなくて、映画祭から家に帰り親に「今日いろんな芸能人の人がいたよ!」と楽しそうに話していたのを今でも覚えてます。
あなたにとっての沖縄はどんな場所、存在ですか?
僕にとって沖縄は生まれ育った場所であり、愛すべき家族がいる場所です。
今の僕があるのは家族のおかげで、今まで沖縄で過ごしてきた思い出一つ一つが僕の財産になってます。
(コロナウイルスによる自粛などで、沖縄においてもエンタテインメントのあり方が問われていますが、) タレント・クリエイターとして今後の日本、沖縄のエンタメをどう盛り上げていきたいか、どんなメッセージを 届けたいか、お考えや思いなどをお聞かせください。
今日本ないし世界でコロナウイルスが蔓延していて、日本ではエンタメ業界も大打撃を受けています。この状態を他人事だと思わず、誰しもが認識して、意識していかないとダメだと思います。
そして日本全体が回復するまで今は不必要な外出は自粛し、若いから大丈夫などとは思わずに気をつけて過ごしてほしいです。
今日本が暗闇にいる中、光を照らすのは僕たちだと思っています。この苦しい中で今後のエンターテインメントを僕たちが引っ張って盛り上げていきたいです。
世界や日本が、そして沖縄が元気になるこを願っています。